ワタシの結婚武者修行



「家族学を勉強した人はね、未婚か離婚が多いのよ。」


冗談なのか、本気なのか、
判断のつかない先生のテンションに戸惑う。

ざわつく私たちを前に、
黒板の真ん中に書かれた三文字を、
チョークでこつこつ指しながら、
たたみかけるようにこう続けた。

「ちなみに、私はコレです。」

・・・ “事実婚”

息をのむ気配がこだまして、
静まりかえっているはずの講義室は、字のごとく動揺していた。

ーーーー
結婚について考えるとき、
いつでもこの場面が頭の中を去来する。

大学時代、家政学全般について学んでいた私は、
嫌が応でも、ジェンダーを強く意識せざるを得なかった。

そのためか、結婚について深く考えすぎてしまうきらいがある。

自然の摂理ともいうべき、
結婚→子育て→マイホーム→・・・云々に、
いちいち立ち止まって考えてしまう。

そもそも結婚すべきなのか、
結婚したら一緒にすまなくてはいけないのか、
子どもを持たなくてはいけないのか、
パートナーを変えてはいけないのか、
どうして仕事と子育てを両立しなければいけないのか、
女性は働き続けなければいけないのか、
どうして、どうして、どうして・・・

一言で言えば、めんどくさい女なのですが、
そんな私も、最近、結婚してみたのです。
これがまあ、立ち止まり立ち止まり、なかなか
前に進めず、苛立ったり、落ち込んだり、絶望して涙をながしたり、感動したり、
本当にせわしなく、そして私を蝕み、強くしていく・・・
結婚してみたら、さらに謎が深まるばかり・・・

そこで、思い立ったのです。
生き方に多様性が認められた今だからこそ、
いちいち立ち止まって考えてみたい。

改めて考えてみれば、結婚て、ものすごく個人的なことだ。
(もちろん家と家のつながりという考え方もあるけれど)
この世に二つと同じ組み合わせのカップルはいない。
だったら、「これが正解!」という答えは、
当人たちにしか決めることができないはずだ。

そうか、そう考えると随分楽になれるのだ、
ということを発見したのでした。

きっと少ないながらも、結婚に迷い、悩み、
頭にハテナを浮かべている人はいるに違いない。

結婚が当たり前じゃなくなった今日、
結婚について、考えてみたい。

そんな想いからこのコラムをはじめて見ました。
メンバーのmariさんもとき同じくしてご結婚され(しかも国際結婚!)、
私たち二人、それぞれの視点から結婚について考えてみたいと思います。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ビスマルク

愚者で結構!
だって初めての結婚だもの、そして、お手本なんてどこにもないもの。

私にしかできない、“私たち”になるための修行の日々。

大好きな小澤征爾さんの「僕の音楽武者修行」に敬意を評しつつ、
文字りまして、「ワタシの結婚武者修行」を綴っていきたいと思います。


Mayuco







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