同じ本を繰り返し読むこと




同じ本を繰り返し読む。

その選択を受け入れた途端、
心にゆとりが生まれた。

本無しに出かけることなんてできない。
移動中、本を持たずに、私は一体どうしたらいいのだろう。
信号待ちの間ですら、私は言葉を欲している。

いつでも身軽で出かけたい。
けれど文庫化されていない本を、どうしても読みたい時もある。
読み途中の本もあるけれど、
出かけ先では、こっちがよみたくなるかもしれない。

そんなことが頭の中を去来して
スマートに出かけられたためしがない。
本棚の前に本を散乱させて飛び出る始末。


けれど一冊の本に出会ったその時から、
私の身支度は一変した。

「海からの贈り物」(訳・吉田健一)である。
アン・モロウ・リンドバーグが認めた、
この薄い本こそ、財布、携帯、鍵、に並ぶ
わたしの旅立ちのお供となった。

そう、一冊の本を繰り返し読むという楽しみを見つけたのだ。


一度で理解しきれぬ難解さ、深さ、そして薄さ。
読むたびに新しい発見があり、何度読んでもあきない。


できるだけたくさんの本を読みたいという思いから
解放されると、こんなにも自由になれる。
たくさんの本を流し読みすることと、
一冊の本を熟読することの価値は、簡単に比較できない。

同じ本を繰り返し読むという贅沢を受け入れてから、
夏目漱石の「硝子戸の中」や九鬼周造「いきの構造」も
ラインナップに追加してみた。

それらの本は、教えてくれる。
本を読むことは、新しい知識をえることばかりでない。
美しい文章、自分にとって心地よい文章を読むことで、
心の中を洗浄する。
たとえば、櫛。
からまった髪の毛をとかすように、
文章を読むことで、心を梳いて整えてくれるような。
そんな読書の効用を、改めて感じている。


諳んじることができるようになってもかまわない。
その覚悟をもてる本こそ、
私のポケットブックの座を射止める権利を有している。


mayuco


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